「全部話したとおりだよ。伯父様が急に襲ってきたから、私は無我夢中で抵抗していただけ。それ以外の事は私も知らないよ」
「つまり、何? あなた、一人だけでアレだけの怪我をあいつに負わせたって言うこと?」
「・・・うん」
「噛み傷もそうだって言い張るつもり?」
「そう」
バンッ! と手近にあった机を二木は叩いた。
「いい加減にして頂戴・・・! ひっかき傷はまだしも、首筋に付いた歯形はあなたのにしては小さすぎると何度言えばわかるのかしら? そんな態度でいると、反省を促す意味も込めて『奥の間』に入ることになるわよ! 本当の事を言いなさい!」
脅しとも取れる二木の言葉に震えながら、それでも葉留佳は無言を徹していた。
押し問答が続いて、かれこれ1時間―――珍しく反抗的な妹に、二木佳奈多は埒があかないと何度目かの溜息をつく。元家長の不測の事態に夜着のまま対処して、それがひと段落したかと思えばこれである。蓄積された疲れが怒気となって言葉尻にも含まれ始めたことを自覚した二木は、ゆったりとした間を置くと、その合間を利用して三枝葉留佳をまじまじと見据えている。
簡易的な手当てが済んだばかりの三枝葉留佳は、現状は肉体的にも精神的にもあまり好ましい状況とは言い難い。呼吸する都度、『カオナシ』に打たれた肩口が痛むのだろう。繰り返す酸素の取り入れは、自然と浅く早いものになっている。
「・・・わからないわね。そうまであなたを意固地にさせているものは何なのかしら、三枝葉留佳?」
左肘に右手を添えるポーズをとりながら、二木佳奈多はイライラと三枝葉留佳を見下ろしていた。正座する三枝の顔からは脂汗が浮かんでいるが、微動だにせず、ただ無言だけを開示する。
いつもの葉留佳であれば当の昔に白状しているはずなのに、どうして今回ばかりはこうも強情なのだろう。理解に苦しむと言いたげに二木の眉間に皺が寄るが、日を跨いだ事を告げる鐘の音に、ふっと表情が浮いた。
「・・・まぁ、いいわ。伯父様にはある程度の筋書きさえ聞き出せれば良いと言われているし。あの翁に何があったのかは知らないけれど、どうせ二木の家には関係のないこと。あなたと違って明日も学校があるというのに、こんな下らないことで時間を費やすなんて・・・。私も愚かになったものね」
ドブに捨ててしまった時間に見切りをつけると、二木は裾を払い、三枝の部屋を後にする。後ろ手にドアを閉める直前―――二木は一度振り返るが、結局何も言わずに扉を閉めていた。
二木が部屋からいなくなっても三枝葉留佳は動かなかった。人間不信という言葉がここで当て嵌まるのかは定かではないが、足音が遠くへ抜けるまで緊張の糸を緩める気はないらしい。しばらくはそうして周囲の気配を窺い、最終的に部屋のドアから顔を覗かせ、誰も居ないことを確認して葉留佳はやっと弛緩する。
頭に巻いた包帯にそっと手を伸ばし、出血が止ってぱりぱりになっている事を確かめている。手酷く叩かれていたのだ。数日間、痛みと腫れは治まらないだろうが、三枝は努めて無視を決め込んで
「・・・・・・っ・・・」
右腿を擦りながらゆっくりと立ち上がる。
向かう先は、既に布団を出し終えたはずの押入れだ。そろりと襖を開け、暗がりに紛れていたボクを見つけると、一抹の不安を宿していた表情が優しく弛む。
それに応える形で、ボクは弱々しく鳴いた。
「元気ないね・・・。あれだけ打たれれば当然か。私もね・・・痛いよ」
三枝の手がボクに伸びる。
温もりを求めるが故の自然な行為だったのだろうが、持ち上げようとする彼女の手に力が籠もった途端、ボクは思わず、くぐもった悲鳴を洩らしていた。『カオナシ』に殴られた腰椎に負荷が掛かった瞬間、激痛が半身を突き抜けたのだ。驚いた葉留佳はすぐに放してくれたが、感覚のない下半身はボクの意思に反してグニャリと曲がる。
体勢を整える間もなく、無様に寝転がるしかボクには出来なかった。
腰椎の損傷は言うに及ばす。下半身麻痺。折れ曲がった後ろ右足。左耳の付け根から頬にかけての裂傷。その他、打撲に打ち身、細かい切り傷は無数にある。
楽観的に診ても全治半年は固い・・・いや、潰れてしまっている腰椎に関しては一生治らないかもしれない。それとも、この世界を脱すれば恭助の改変によって治る事も容易いのだろうか。「これなら死んでいた方が遥かにマシだったかも」と、半壊してしまった自分の身体を何とか動かそうと、ボクは足掻いていた。
狼狽しながらも何か声を掛けようとした葉留佳は、手に付着している赤黒い血に慌ててボクの体を診てまわる。普通の少女ならここで悲鳴を上げるか、意味もなく狼狽したかもしれない。
「お医者さん・・・は・・・呼べないよね。猫を飼ってるなんて知られたら、それこそ・・・」
三枝葉留佳は取り乱さない。
元家長の世話係から始まり、今までの境遇を辿れば、生傷ぐらいで戸惑う方がおかしいのだろうが、それは何だか・・・少し悲しかった。
「ちょっと待ってて」
バタバタと出て行くと、程なく救急箱を手に戻ってくる。箱を開けてしばらくボクと中身を交互に見やり、思案に暮れた後で葉留佳はまた外へ飛び出していた。間欠的な痛みに耐えながら「何だろう」と首を傾げたが、再び戻ってきた葉留佳が手にした木切れを見て得心する。適当な添え木を見繕ってきてくれたのだ。
手当てをしてくれる心算のようだが、嬉しい半面、不器用な彼女を鑑みると一抹の不安を拭えない。先ほどのような手荒い扱いを受けそうで内心ヒヤヒヤしていたが、消毒から包帯を巻くまでの一連の流れは思いのほか手馴れていた。三枝はどこか誇らしげにおどけてみせる。
「こう見えてもはるちん、こういうのは得意なんですヨ。昔から自分の事は、自分で何とかするしかなかったですからね」
久方ぶりに彼女の笑顔を見たような気がした。このところずっと悲しげな表情しかしていなかったのに・・・。どうして今、こんな場面で彼女はそんなに優しく微笑むのだろう。
ボクにはそれが分からない。
添え木を当てられたボクの後ろ足は、くるくると包帯に巻かれていく。巻き方は独学なのか、かなり適当なところはあったが締めは本結び。布地の端を交差させて、器用に結び目を作る。出来栄えに三枝も満足そうだ。
「お客さん、コイツはなかなか難しい手術になりそうですぜ。まぁ、この名医はるちんめに任せておけば万事万々歳ですヨ」
・・・?
先程もそうだが・・・三枝葉留佳はこの世界で、こんな話し方をしただろうか?
違和感を覚えて仰ぎ見ると、言葉とは裏腹に、恐る恐るといった様子で逆海老反りに曲がってしまっているボクの腰部に手を添えている。話に気を取られ、去来する痛みへの身構えが遅れてしまったのはボクのミスとしか言いようがない。矯正しようと腰骨を伸ばされた途端、張り上げたボクの悲鳴が葉留佳を竦ませる。
同時に、伯父達に気付かれたのではないかという恐れもあったのだろう。すぐさまボクを抱え上げ、押入れに隠すと葉留佳自身は布団に潜り込んで、万が一の事態をやり過ごそうと身を固くしている。
離れに位置しているこの部屋で、騒音が母屋の『カオナシ』たちに届くとは思えないが、今の彼女にそういう理屈は通用しないだろう。柔和な笑みは影を潜め、恐怖に彩られた三枝の怯えようは尋常じゃない。
刹那の寛ぎを奪ってしまった罪悪感が、ボクの胸を締め付ける。相も変わらず、ボクという存在は彼女に悪影響しか及ぼさないのだろうか。
ありがた迷惑というか、本当にボクは役に立たないというか。
本当に・・・泣けてくる
* * * * * * * * * *
それから何日経ったのかはボクにも分からない。
怪我による微熱と痛みにうなされ、三枝が運んでくる食べ物を口にしては吐くという暗澹たる日々の繰り返しが続くうちに、三枝の世界に根付いたばかりのボクの意識は、早くもこの地獄が終ってくれることばかりを願っていたように思う。
間欠的に訪れる安息と、その後に降りかかる拷問に等しい激痛の連鎖。
こんな怪我を負ってしまった自身の浅はかさを呪い、時には三枝葉留佳を救おうとしたこと自体が馬鹿げたことだったのだと吐き捨てている自分に気付くこともあった。
そして・・・三枝にはどうすることも出来なかった腰椎の損傷は、彼女なりの精一杯の手当てが施されはしたものの、いつしか感覚はもとより痛覚すらなくなっていた。
どれだけ力を込めてもピクリともしない半身。ボクの意思の及ばなくなったそこからは排泄物が垂れ流され、それを三枝に処理してもらう度に、ボクは自分の中の自尊心がひとつ、またひとつと潰されていく。
こんな身体・・・ボクじゃない
否定したところで何がどうなるわけでもない。衰弱した体を捻り、苛立ち紛れに爪を立て、噛み付いてみても、たるんだ肉は無感動に血ばかりを流している。
ボクの自虐行為がエスカレートしていく過程で、脱毛や傷口からの化膿の箇所は、日を増すごとに数を増していた。葉留佳はボロボロに醜くなっていくボクを撫でながら、困ったような顔をする。
「自分の体は大事にしなきゃ駄目ですョ。今は辛くても、きっと良くなるから・・・」
そんな慰めの言葉なんてごめんだった。
三枝からそんな言葉を掛けられてしまうと、自分の惨めさが一層に彩られているようで。反発したい衝動に駆られ、彼女に牙を剥いて威嚇しても、三枝はいつも寂しそうに微笑んで、ボクをそっと抱き寄せるのが常だった。
その時の三枝が、どういう気持ちでボクを抱きしめていたのかはわからないけれど。まわされた腕から。触れた肌から。拙い愛情が温もりとともに、ゆっくりとボクの中に浸透してくる。
恭助から生み出されたボクに親はいない。いるとすれば、それは恭助という人間だけだ。彼の記憶を共有して、感情を共感していたボクの中に、ボク本来のオリジナルの記憶は、オリジナルの意思はどこにあるのかという疑問がなかったわけではない。
狂信的に彼を信じ、彼の言葉に従っていればそれでいいのだと・・・思っていたはずなのに。
「辛い時はね。たくさん泣くといいんだよ。痛いときは痛いって言うとね、その事をきっと誰かはちゃんと知っていてくれるんだよ。お姉ちゃん、何も言わないけれど、私にはわかるんだ。きっと姉妹だからですネ」
「やはは」と照れくさそうに三枝は頭を掻いている。
・・・なんで、こんな所に来てしまったのだろう。
こんな世界に来なければ、ボクはもっとシンプルでいられたのに。命じるままに動けたはずなのに。それが出来なくなってからのボクは―――ヤクタタズノロクデナシだ。
恭介の意に反した行動は全て裏目に出て、ボクという存在は常に誰かに迷惑をかけてしまっている。
それなのに、葉留佳に許されている事が苦痛だった。
ボクという存在が許されている事が苦痛だった。
安らぎを感じる今がやるせなくて。彼女から感じる幼い母性に縋ることが、どれだけ負担や迷惑をかけてしまっているかを知っていながら、ボクはどうしようもなく縋ってしまう。
気が付けばいつの間にか、救うはずのボクの方が、三枝葉留佳によって救われていた。
あとがき
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・正直スマンカッタorz
今回で終らせるつもりでチマチマやってましたが、諸事情でかなり参っていたため今回は短め。そして次回に過去編終わりという感じにさせてくだーたい(汗
ともあれ、今回で管理人のやりたい事が少しではありますが、できたかな?
過去編のテーマとして『鬱』が今まで主軸になっていましたが、そっちはどちらかというと食堂の小鉢のようなもので、本当にやりたい事は別にありました。
その一つが『立場の逆転』だったりします。
自分の書くキャラクターの多くが万能人間とは程遠く、むしろ無能であったり、弱者であったり・・・まぁ通常であればサブキャラに列せられるような奴らばかりだったりするんですよね。レノンをフルボッコにすることで、そういうキャラクタの一人物にする事は開始当初から既に決まっておりましたが・・・。
なんていうんですかね・・・『ヤクタタズノロクデナシ』。
レノンと三枝葉留佳の救う立場を逆転させるついでに、この言葉に別の意味合いを含ませたかったんですよ。「ヤクタタズノロクデナシで何が悪いんだ」って。時にはそういう存在が必要であって欲しいというか、まぁ願望なんですけど・・・ドンだけ役に立っていなくても、人によってはそういう存在であろうと救いになっている事があるんだと、自分なりに解釈したかったというのもあったりなかったり。
今回の三枝葉留佳にとって、傷ついたレノンがそういうのだと思うんですよ。
そういう意味では、レノンは三枝葉留佳を既に救っているとも捉える事が出来るんですが、まぁ当然、このまま穏便に事が運ぶなんて事は皆無です。
次回の最後で、色々とやらかします。




コメント
「(……気が、遠くなる。このまましゃがみこんで、蹲ってしまいたい。でも、背中越しのこの子の温もりが私にそうさせてくれない。何もできない私に初めて託された、私よりも弱い存在。何も知らない、何も分からない瞳が、私が無力であることを許してくれない。これは報い? それとも…)」
とまぁ、かなり脱線してることに気がついたので戻りますが、ようは自分もかみかみさん同様、時にはそういう存在が人には必要だと思うわけです。(うはー、この一言のためにどんだけ文字使ってんだよ…)
誰かを救うことは自分を救うことになる。みんなクルクル回ってるんだって有紀寧ねーちゃんが言ってたよ!><
まぁ、なんと言うか惰性で長編(ここ大事)をやるんじゃなくて、創作目的がはっきりしてて且つ、実際に書けるかみかみさんはすごい人だと自分は思うのですよ。(・∀・)2% 面白い長編とか見つけると、「面白れぇ!」と思うより「ちゃんと完結するかなぁ…(ハラハラ)」と思ったりするんですが、かみかみさんに関してはその辺、全く不安がないのがまず凄いなぁ。ちったぁ、見習えよ自分。(長編2つポーチ状態)
次回も楽しみにしてるんだぜ!
ぴえろ [URL] #yO5qUOCQ | 2008年05月26日 23:33:07 [修正]
お久です。
これは本編でのキャラがこの時に形成されたと考えるべきか、それとも世界の境界があいまいになって本編と過去の『葉留佳』が混ざり始めた兆候なのか…
今後の展開が気になりますな。
あ、これは今回の更新とは関係ない上、個人的な意見なので聞き流してくださっても結構です。
リトバスThe4コマ(かみかみさんがお読みになっているとは限りませんが…)では、本篇のシリアスな場面を一切排除した賑やかな日常が描かれています。
かみかみさんの作品やリトバス本編を何度も読み返すうち、あの4コマの世界が基本の、つまり虚構世界ではない本当の世界であり、虚構世界でのキャラ達は、普段押し隠している負の面が強調されたのが個別ルート…という妄想(ぇ)が浮かびました。
あわゆき [URL] #81Ikyo/M | 2008年05月27日 17:06:50 [修正]
失礼するス
つまるところ、この時点で葉留佳はこの世界が虚構世界だということを自覚した。自分の深層心理に引きずられて退行していることも自覚した。だから、口調は本来理樹と話している高校生のソレに戻った。
クドが途中テレビを見てこの世界の成り立ちを自覚したことを考えると、葉留佳が途中で自覚していても不思議ではない。というか、本人が自覚していないと根本的に『歯車』を壊すことができないんじゃないか・・・。
うん、この解釈がかみかみさんと合致しているにしろ、異なっているにしろ、考察小説を読むことで、リトバスの裏舞台を考えることができて非常に感謝しておりますヨ。次回の超展開に期待してます。
hext [URL] #QV.32OYY | 2008年05月27日 21:58:51 [修正]
さては原因は貴様か!?レノン
はるちんがあそこまでダークになった原因の核は僕にはまだまだ読めてはいませんがレノン君最初は痛みあったんですね…
というか猫をいぢめるな〜!!
急に何かを悟ったかのよーに大人びた(?)普段の口調中身を手に入れたはるちんも気にはなりますが、それよりもレノン君治りますよね?そのまま死んじゃったりして鬼畜恭介に対こまりん用崩壊要因の亡きがらにされたりしないですよね?恭介ならやりそうで怖い怖い
荒木秋夜 [URL] #u3MRTyDc | 2008年05月27日 22:42:54 [修正]
色々と突いてくるなぁ・・・ (:´ー`)ヒヤリ
管理人としても、原作の裏側を各自に考えてもらえるように色々と練ってはいたのですが・・・こちらの思惑の斜め上の予想をしているコメントを見ると感心させられますねヘ(゚∀゚;ヘ)(ノ;゚∀゚)ノ内心バクバク
keyがAIRやらで読み手に考えさせる余地を残して終らせる理由も何か納得。
だって、単純に自分だけの脳内でアウトプットしたストーリーに、こちらの予想外の意味や考察をパッと付与してくれるんですもの。本気で「ゲゲーっ!?Σヽ(゚Д゚; )ノ」ってなっちゃいます。
んで。こちらの予想していた物語に一層の彩を加えられた瞬間というのは、不思議なもので・・・妙に誇らしい気分にさせられるんですよねぇ。
やっぱりある程度、読み手に解釈させる素地を残したまま進める方が『吉』だな、と今回の件で何か悟りました。もともと細々としたところまで説明しないと気が済まないタイプだったんですが、SS書いて、リアルタイムとはいかないまでも感想をもらえる現状になったお陰で、いい感じに経験値積ませてもらってます。マジで感謝m(_ _)m
かみかみ [URL] #wyPnW/yE | 2008年05月28日 20:26:06 [修正]